ぼくのほそ道

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国史の話。たいへんベタであるが、諸葛孔明がどれだけえらいかを知るエピソードである。ちなみに「えらい」というのは、頭がいいというより、モラルが高いという意味で話してみたい。

中国の王朝の交代でよくあるパターンが、簒奪(さんだつ)である。皇帝の配下が強大な実力者となり、同僚を圧倒し、やがて皇帝をさえないがしろにし、ついには取って代わって自分が皇帝となるというプロセスである。

漢王朝を簒奪したのは曹操である。厳密には帝位を簒奪して皇帝となり魏王朝をひらいたは息子の丕であるが、操は死後、丕によって皇帝として祀られたことからも実質的な簒奪者といえよう。

魏国と対立していた蜀漢。その最大の実力者は、名実ともに諸葛孔明である。しかし孔明は簒奪の意思を少しも示すことなく、死ぬまで蜀漢皇帝の配下として忠誠を全うしたのである。

魏国の最大の実力者は司馬仲達。孔明のライバルである。しかし仲達は孔明とちがって、魏国の同僚を圧倒し、その権力を子孫に伝え、やがて孫が魏国を倒し晋国の皇帝となる基礎を築いた簒奪者なのである。ただしこれについて、仲達がことさら「わるいやつ」というのはかわいそうかもしれない。こういう立場になると簒奪するのはきわめてふつうのことであり、仲達は当たり前のことをしたまでである。ちなみに中国には易姓革命という考え方があり、孟子によっても、徳を失った王朝を倒すことの正当性は支持されているのである。ここではむしろ、孔明の(愚直なまでの)忠誠心というモラルをほめたたえるべきであろう。

さて、簒奪によって建国された王朝は、簒奪によって倒されることが多い。魏もそうであったし、晋もやがてそうなった。晋末期の皇帝司馬昱は臨終に際し、当時の最大の実力者である桓温に向かって、「諸葛孔明みたいにわしの息子を補佐してほしい」という意味のことを言った。司馬昱は、「自分の先祖であり建国の祖である司馬仲達みたいになってね」とお願いすることはできなかった。司馬仲達は簒奪者だからだ。このことからも、彼は国史と血統にやましさを感じていたことは否定できないだろう。かえって、「仲達のライバルだった敵国の孔明みたいになってね」と言ったのだ。そしてこれは、当時すでに、孔明が「歴史上のすごい人物」として人々の尊敬を集めていたことを物語っている。

ちなみに司馬昱の願いむなしく、晋王朝は桓温の息子によって滅ぼされた。歴史は繰り返すのである。この後中国は、簒奪者が簒奪されることを繰り返す混沌の時代へと突入する。

思えば、簒奪でない開基をもつ王朝は比較的長続きする気がする。民衆の大反乱から生じた王朝、たとえば漢、唐、明などは長命である。または、異民族による征服王朝である元や清もそうだろう。偶然かもしれないけど、因果応報的な法則は存在するような気になってしまう。