おばあさんと仏像
おばあさんは、仏像をかまいたがります。いろんなものを着せたがります。堂内にまつられている本尊的な仏像をかまうのはハードルが高いので、主に屋外に設置されている石仏などがターゲットになるのです。そして、サイズ感が人間の子どもくらいの仏像が、ヘビーにかまわれるターゲットになることが多い。
この写真は、山形県の立石寺(通称山寺)奥の院にて。何重にも重ね着しているので、もとが誰なのか判然としない。帽子がかっこいいのが特徴。そして、東北の風雨にさらされて色あせた着衣と風車の雰囲気が、独特の威厳ともの悲しさを両立させている。
山寺という名前のとおり、この寺は駅のあるふもとからけっこうな標高差を持つ山の南斜面一面が境内になっている。早春の山形県の山間部は寒い。石段を登ってると少し汗ばむけど、吹き付ける山の風は冷え冷えしている。そうして寺の最上部まで登った時に出会ったのがこの仏像。おばあさんのデコレーションと絶妙な風化具合に、僕は衝撃を受けた。これは、「おばあさんが仏像をかまう」というありふれた行為を気にしはじめるきっかけになった記念碑的な出会いであった。
仏像というのは信仰の対象で、拝む相手。「助けてください」とすがる相手。しかし、人間の子供くらいの適度なサイズ感を持った石仏は、おばあさんにとって信仰の対象であると同時に、かまってあげたいかわいい対象なのである。保護する側とされる側が混在した独特の世界観に、僕はめまいを覚えた。
おばあさんは、無理やり服を着せる。遊びに来た外孫がかわいくて仕方ないので無理やりにでも服を着せたりごちそうを食わせたりするように、このような動きのある童子にも服を着せるのである。しかも「Play Rock」である。西松屋で買ったと思しきそのチープでストレートなスローガンの書かれた服を、童子(石仏のはしくれ?)が着ているのである。ねらって出せるものではないこのミスマッチ感覚。Play Rockと言われて、少年時代スティーブ・ヴァイを必死でコピーしていた記憶が一瞬だけよみがえった。
たぶんこの石仏は、その表情と持物(棍棒っぽい)からして、不動明王の眷属の制多迦童子ではないだろうか(写真を撮ったとき、となりに不動明王がいたなら間違いないんだけど、残念ながらその当時の記憶がないのである)。怒りでワルモノをふるえあがらせるという不動明王の設定にそぐわない、まぬけな帽子と前掛けのミスマッチ感。そんな仏教のむずかしいことは関係なくコスチュームでデコレーションしてしまうおばあさんの力強さ。なんだか心ひかれます。