ぼくのほそ道

サイエンスとかアートとか自然とか仏像とか生物とか・・・。僕の知り合いの人は読むの非推奨!

「時代に逆行する」

 

こんな記事があった。


時代に逆行する曽野綾子氏のコラム 多様な民族を受け入れる姿勢こそが日本に必要 | Kosuke Takahashi

 

このウェブ記事は、「曽野綾子は時代に逆行してるからダメだ」と言っている。しかし、よく考えてみてほしい。世の中にはクリエーター的な人たちがいる(たとえば作家や芸術家、大学教授だって含めてほしい)。そういう人たちにとってある意味、「時代に逆行してる」というのは褒め言葉になり得るのだ。...

もちろん僕は曽野綾子の言説がきらいである。それは、人種差別というのが「時代や風潮に関係なく本質的に」ダメなことだから。しかしこのウェブ記事の筆者は、「時代に逆行してるから」ダメと言う。これは僕からの揚げ足取りではなく、根本的な間違いを指摘している。

逆に考えれば、時代の流れに乗っていたらイイのか?ということになるからである。

ときに、2014年のヨコハマトリエンナーレで気になる展示があった。そこには、日本の戦時中、有名な文豪とか詩人とか芸術家とかが、率先して戦争賛美・軍国主義賛美をしていた証拠が展示されていた。時代の流れに乗ったこれらの人たちは汚点を残した。それは、「時代や風潮に関係なく本質的に」ダメなことをしたからである。

というわけで、ハフィントンポストにジャーナリズムの一端を担ってる自負があるのなら、「時代や風潮に関係なく本質的に」良いかわるいかで批判をしてほしい。それがクリエーターに対する正当な批判である。

ちなみに、ビジネスや政治に対する批判なら、「時代に逆行する」という理屈も成り立つ。ここは混同しないでほしい。

思えば、科学でも芸術でも、時代のマジョリティをくつがえすような人がすごいのである。どんどん時代に逆行していきたいものである!

ミッフィーが気になる

ミッフィーが気になる。おっさんなのにたいへん恥ずかしいことだが。キャラとしての完成度はたいへんなものだと思う。形も色も、このうえなくすばらしいものだと思う。たまに東京駅に行くと、キャラクターショップを素通りできないという悲しいサガも持っている。

ミッフィーは擬人化された白いウサギであり、もちろん両親も、学校のお友達もほとんどは白ウサギなのだが、メラニーという黒ウサギも登場する。こうやって体の色の多様性に配慮するというのも海外のキャラっぽいと思う。ちなみにミッフィーとお友達は見た目でほとんど判別不能なため、メラニーというキャラは貴重ともいえるだろう。さらに、クマやブタも擬人化されて登場する。

しかし、イヌだけが擬人化されていないということが非常に気になる。スナッフィーという犬が登場するのだが、これが、知能も扱いも犬なのである。ウサギのミッフィーはちゃんとしたおうちに住んでいて、お父さんは自家用車も持っている。しかし犬は犬小屋に住んでいる。四足で歩き、口も利けない。ウサギに飼われている犬。「公園で遊ぶときは、気をつけなきゃダメよ」なんてミッフィーにたしなめられる犬。なんだか気になってしまう設定なのである。

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アユタヤから鉄道で北へ向かう。もうひとつの世界文化遺産であるスコタイの遺跡を訪れるためだ。しかしその旅にはいろんな落とし穴があり、その体験は、「わけのわからない人生がいい」という私がぼんやりと目指すところへゆらゆらと運ばれていくことになった気がする。ちなみに私は立派な人になりたいとか何ごとにも動じない悟りを開きたいみたいな大それたことはぜんぜん考えてなくて、おもしろいことをおもしろいと感じられるような、そんな人になりたいのである。

 最初の落とし穴は鉄道の遅延である。それ自体はガイドブックやネットの情報で教えられていたので特におどろくに当たらない。アユタヤの駅はそれなりに風通しのよい日かげなので、のんびりと露店のマンゴーなどを食べながら待ってるだけでよいのである。そしておよその到着時間を駅員が黒板に書いてくれるので、精神的な負担は少ないのである。

 さて鉄道に乗り込む。私はちょっと奮発して2等の座席を取ったので、それなりに快適な環境である。なぜか食事も出てくる。しかしそのレトルトパック的な食物は死ぬほどまずい!食べ物に好ききらいのない私を持ってしても、食べられるレベルに達していなかった。タイの食べ物はどこでなにを食べてもおいしいはずなのに、これはきつかった。たぶんレトルトパックの技術の問題なのかもしれぬ。

 2等車はこわいくらいエアコンが効いている。バックパックから長そでのパーカーを出してしのぐ。しかし発車して1時間くらい経つと、だんだん気温が上がり始める。車両のエアコンが唐突に故障したのである。今度はサウナ状の車内でひたすら耐える。近くの駅に停車して修理を試みているようだが、1時間経ってもぜんぜん直らない。仕方ないのでそのまま発車するようだ。しばらくしたら車掌がやってきて、きっぷを見せろという。そしてきっぷになにかタイ語で書き込むが、なんのことかもちろん分からぬ。時刻表の2時間遅れで目的地のピサヌロークへ到着。駅員にそのきっぷを見せると、きっぷ売り場へ連れて行ってくれた。そしてきっぷ売り場で、なぜだか150バーツをもらう。そうか、これはエアコンが故障したための払い戻しみたいなもの?たぶんそうなんだろう。

 ちなみにタイ人はお金への執着がとても薄い気がする。この翌日バスに乗ったときも、だまってたらぜんぜん分からない10バーツの払い戻しがあったし、食堂のおばちゃんがカタコトの英語で「ワンフィフティー」と言ったように聞こえたから「ワンフィフティー?」と確認すると、「ワンフィフティーン」と訂正してくれる。外国人観光客の僕が勘違いしたんだからだまって150バーツを取ればよいのに、正しく115バーツと言うのである。このときは僕も間違っていて、たとえ「ワンフィフティー」と聞こえたとしても、「ワンフィフティーン?」と安いほうの選択肢を使って聞くべきなのである。これは発展途上国における鉄則で、さもないとこれ幸いと高いほうの料金をふんだくられるのである。しかしタイは違った。この正直さはすばらしいと思った。

 ピサヌロークのゲストハウスへチェックイン。日本円にして1500円も払えば、エアコンとホットシャワー付きという快適な宿に泊まれるのだ。さて夕食は何を食べよう。近所にレストランが見当たらないので、仕方なく駅前の屋台街に行く。屋台の衛生状態を危惧するヘタレ旅行者の僕は、屋台では安全そうなものしか買わないようにしていたのだが、このときは仕方ない。なるべく清潔な屋台から、なるべくちゃんと火が通ったごはんものを買って食べる。そして、肉を竹串に刺して焼いたやつを何本か買う。竹串ごと火であぶってるんだから当然衛生的である。油ぎとぎとのお皿を介さずに食べられる食品を選ぶのである。200円もあれば相当腹いっぱいだ。こういうところでも、外国人からぼったくってやろうというお店がないのがタイのいいところ。

 夜、ポロシャツを洗濯する。しかし湿度が高いので、朝になってもぜんぜん乾いておらぬ。ちょっとかなしい気持ちで湿ったポロシャツを着用して旅立つ。しかしこれは、まったくたいした問題ではないことをのちに思い知るのである。宿を出てバスターミナルへ向かう。泊まった宿は鉄道駅からは徒歩圏内であったが、バスターミナルに行くには三輪タクシーのトゥクトゥクを利用しなければならない。このあたりの公共交通機関の接続のわるさが発展途上国の特徴であるように思う。さてバスターミナルで、スコータイまでのきっぷを買う。窓口のおばさんに、「ニュースコータイに行くか、それともオールドスコータイか」と聞かれる。行きたいのは世界遺産の廃墟のスコータイだから、オールドスコータイと答える。きっぷを買って少し待っているとさっきのおばさんがやってきて、「今日はオールドスコータイはクローズドだ」という。町がクローズドってどういうことよ?意味はよく分からないが、とにかくバスは止まらないらしい。しかたなく新市街のニュースコータイまで行って、バスを乗り継ぐことにする。このとき、運賃の差額で40円くらいを返してくれる。このあたりのお金に対する律儀さはタイのよさである。

 さてニュースコータイからバスを乗り継ぐわけだが、そのためのバスターミナルが離れているため、またトゥクトゥクに乗る。バス料金は安いんだがトゥクトゥクは距離のわりにけっこう高いので、このあたりがもんだいである。あとから考えると、ピッサヌロークでレンタカーを借りるのがいちばん便利で経済的であった。

 さてトゥクトゥクでバスターミナル間を移動していると、どうもスコータイの町が騒がしい。お祭りのようである。お祭りというか、スポーツの試合前のような熱い雰囲気。道端に立っているおばさんから、いきなりバケツで水をかけられる。しかも走っているトゥクトゥクの客席の僕にかかるように計算された無駄のない攻撃である。かなりプロっている。そう、今日はタイの新年の、いわゆる水かけ祭りの日だったのだ。

(つづく)

地方の美術館に行くと、「地元の生んだ芸術家」みたいなコーナーがあり、しょーもない作品がならべられてたりしがちである。こういうのを遠足で見せられる子供たちにはアートはだるーいという印象を残す作用しかないだろうし、遠方から訪れる僕のような者にはサブカル的なネタを提供している。地元で生まれたから、というだけの理由で地元の美術館に飾るというのはどうかと思うのである。

おなじ理由で、日本の近代の洋画家たちの絵が、どうも好きになれない。「日本人が描いたから」というだけの理由で、日本でありがたがるというのがしっくりこないのである。もしおなじ絵をポルトガル人が描いていたら日本で展覧会を実施するだろうか?わたくしはこういう評価基準でものを見てしまうのである。別にこの評価基準を人に押し付けようとか広めようとかは思わない。個人的な感覚である。これも科学者としての思考の副作用で、「自然科学の真理に国境はない、人の素性は関係なく理屈だけを客観的に考えるように」と訓練されてきたから、アートについても、「僕が美しいと思えるものを見たい」というだけなのである。

ちなみに、「その場所でないと成り立たない」というサイトスペシフィックなアートなら地元の美術館で展示する価値があると思うのである。地元で生まれてパリの風景を描き・・・みたいな人の展示をする必要はないと思うんだけど、よそ者だけどこの土地の風物を描き・・・みたいな人の作品をその場所で観るのは好きなのです。

友達のために死ぬような行動は美談だ。なぜそれはうつくしい?人間はなぜそれをうつくしいと思うのか?自分の遺伝子を残すためには、素直に考えると、友達を犠牲にして生き残ったり、血縁者のために死ぬような行動ならば合理的に思える。なのになぜ、利己的じゃなくて利他的な行動がうつくしいと、世界の様々な文化では思うのだろう?

古来、人間は助け合って生きてきた。なかには助け合いをしないずるいやつもいただろう。しかし人間は知能を発達させ、そういうやつのうそを見破れるようになった。そうなると、互恵的な関係には進化上のメリットが生じることになる。しかしそのメリットは、つねに利己的に相手を出し抜く方向への進化とのせめぎ合いをしているのである。

人類は、友達のために自己犠牲をすることをうつくしい・そしてそれが気持ちいいと感じる感覚をげっとするに至った。それは基本的に個人の遺伝子の繁栄に役立ってきたのだろうが、それは時として強烈な副作用を生じる。自分の遺伝子繁栄のための合理的なバランスをオーバーシュートしてしまい、自分が死んでしまうのだ。ただしそういうオーバーシュートは例外的なものだから、それを称賛することで、ずるい傾向とのバランスをとっているともいえる。人類はずるいやつと自己犠牲的なやつとふつうのやつの混合だから、総合するとちょうどよいレベルの協力関係が自発的に生じるようになっているのかもしれぬ。

理想像どおりに行動するやつは、実は最適じゃないのだろう。しかし、ほっとくと人間は利己的に流れるから、逆方向の行動をするやつのことをほめたたえることで自分らのバランスを保っているのかもしれない。

哲学者にけんかを売ってみる。

帰納と演繹を使う哲学ではあるが、統計学を知らぬ哲学者が帰納とか言ってるのを聞くと噴飯ものだ。統計的有意性、ということばを教えてやりたい。まちがった法則から演繹するのも爆笑だ。これを自然科学では、「garbage in, garbage out」という。哲学コースには、進化生物学を必修にするべきだ。人間とは何かを考えるのに、人間のからだとこころをかたちづくってきた遺伝子の話を避けるわけにはいかないのだ。

いまの大学のよいところは、底抜けの自由。ある意味、ちょっと無理してでも奇抜なことをするのが正しいような、そういう雰囲気。ただし単に奇をてらうのではなく、究極の目的として普遍的な知の探求や社会への還元といった深みがあるものが認められるような。

ただいま、学内の「学際コンテスト」に応募しています。こころセンターのセンター長に紹介していただいて以来仲良くさせてもらっている宗教哲学の先生と、筋金入りの進化生物学者すなわちガチの無心論者である私からの共同の研究提案。人間の感情に、「畏敬の念」みたいなもの、宗教的感情の根源みたいなものがどうやって生じるのかを、森をケーススタディとして考えてみるというすてきなプロジェクトです。

さらに、ご近所の芸術系の大学からもこの研究提案に参加していただいています。植物をみてうつくしいと思う気持ちを美術家の立場で考えてる先生。森の独特の空気感、たとえばいやしとか荘厳さとかを出す要因のひとつとしての音環境を調べてる先生。

こうやって多面的な研究をすることで、人間のこころにとっての森ってなんだろう、ということを調べてみたいのです。だって、森に感動し、森を愛し敬う気持ちから出発しなければ、僕らは自然保護なんて考えようとしないだろうし、森を研究しようなんて動機も生まれないだろうから。

そもそも僕ら生態学者は、植物の生理や動物の行動なんかは詳細に調べるくせに、それと対峙するわれわれ人間の気持ちをおろそかにしすぎな気がします。「この森にこういうめずらしい植物がいます」という情報を淡々と調べ発表するのが生態学者の稼業として常態化していて、その情報に接した人が感動するかどうかはその人まかせになっているのです。いやもちろんそういう研究も必要なんだけど、それだけじゃない気がする。

人類(Genus Homo)が生まれて約200万年。その大半は狩猟採集でくらしていた。農耕牧畜がはじまって約1万年だから、99.5%の期間は狩猟採集だったということになる。そしてその期間に、森に対する感情の根源みたいなものが生じ、根付いたように思う。うん、一生海を見ずに死んでいく人は多かっただろうが、一生森を見ない人は少ないよね。草原地帯でも、要所要所に樹木の群落はあって、人のくらしに重要な役割を果たしていただろうから。

食料や、雨風日光からの避難所、安全な隠れ場所を提供してくれる森。そこにいて気持ちいいのは当然だと思う。森を心地よく思えない人は、森からさまよい出てのたれ死ぬ可能性が高くなり淘汰されてしまう。というわけで現代人の僕らにも、森を愛して生きのびてきた人たちの遺伝子が脈々と受け継がれているのである。