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ぼくのほそ道

サイエンスとかアートとか自然とか仏像とか生物とか・・・。僕の知り合いの人は読むの非推奨!

環境と判断

基本的に、自分をとりまくすべての環境は、自分がつくりだしたものであることを認識したいと思う。職場や学校でろくでもないボスや仲間に取り囲まれているのも、くだらない作業をさせられているのも、そこを選んだ自分がつくりだしたconsequenceなのである。そんなくだらない居場所にしかいられないのは?「もっといい居場所に受け入れてもらえるような努力をしない」という選択肢を選んだ自分がつくりだしたconsequenceなのである。たとえば、勉強をがんばること・情報を集めることで、自分の居場所すなわち環境を変えることができるのではないだろうか?

自分の境遇を嘆くのは、実は「環境を変えないという選択」をし続けている自分への呪いにほかならないのだ。おかしな職場・おかしな家族・おかしな交際相手・・・。われわれは常におかしなものに囲まれて暮らしているんだけど、文句を言いつつもそこに安住しているのは、無意識のうちにメリットとデメリットを勘案し、「環境を変えないほうがメリットが大きい」と判断するという行為を連続的に続けているのに等しい。そういう判断が合理的ならば、納得してその環境に居つづければよいだけだ。もしも判断が違うというならば、環境を変えればよい。

環境を変えるという判断になったとしても、すぐにやみくもに飛び出す必要はない。メリットとデメリットを勘案し、ネットでのベネフィットが最大になるポイントを推定するという作業が必要になる。まあつまり、これまで無意識のうちに行っていた「判断」を意識的に行う訓練をすれば、人生は確実に変わっていくものだと思うのだ。そして、「何も変えない」というのも選択可能な分岐の一つであることを痛切に認識し、その判断にも重大なconsequenceがつきまとうことを知らねばならない。

なお、物理的・身体的な手段でしばられていて自分の判断に沿った行動が許されない人が存在するならば、それは人権の深刻な蹂躙である。すぐに外部に助けを求めるべきであろう。この点で、子供たちというのは保護者にしばられた存在であり、その権利は十分にまもられるべきだと常々考える。