ぼくのほそ道

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丹後に残る石仏と信仰

京都府北部。旧国名は丹後である。歴史あるエリアでありながら近代以降の開発の中心からは微妙に外れているため、古くからの素朴な信仰が今も守り伝えられているのを目にすることも多いのである。この丹後地方を走るローカル線は、「北近畿タンゴ鉄道」という。微妙なだじゃれにもとづくネーミングである。

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兵庫県豊岡市から一両編成の鈍行列車に乗り込み、丹後大宮で降りてみる。古くは小野小町にゆかりを持ち、桃山期から江戸初期には大坂の陣で徳川方に抵抗した大野治長ら大野氏の居城のあった場所だという。

 

町を歩くと、大事に信仰されているお地蔵さんをいたるところで見かける。歴史があるということは、それに比例してお地蔵さんの数も増えていくんだと思う。町の人たちはお金を出し合って、こうやって大きめのほこらを作り、たくさんの地蔵のみなさんを収容できる集合住宅的な場所を作っているのである。

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ひとことでお地蔵さんと言ったけど、実際には地蔵菩薩以外の仏像もいろいろ混じっているようである。制作年代もさまざま。古いものは表情の見分けもつかない。

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そして、地元の人たちはこんなふうに、思い思いの塗料でお地蔵さんを塗りたくる。(たぶんマジックで)顔を描いたものもある。そしてこれが、生きた信仰なのかもしれない。

 

とても古いものだから文化財的に保護しよう、現代人が絵の具やマジックで落書きするのはもってのほか、という管理方針も一理あるし、確かに地元民に触れさせないほうが仏像は長持ちするんだろうけど、そうなると信仰が死んでしまうような気がする。

 

こうやって地元の子どもたちが色を塗ること、地元のおばあさんがよだれかけを奉納することで、信仰は続くのである。石でできているといってもさわられつづけると磨耗し、やがてただの小さな石塊になるんだけど、それもほこらの片隅に居てもらって、また新しい石仏が加入していくのである。こうやって続いていくのである。

 

そういや徳島県のわが実家にも、畑のすみっこで大事にされている石塊があったような。あれは昔はお地蔵さんだったのか、それとも墓石であったのか。今となっては知るよしもない。

 

ほこらの片隅には一対の狛犬が。もしかしてシーサー?こうやっていろんなものを取り込みながら、信仰は続いていくのである。

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