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薙刀(なぎなた)という武具がある。時代劇にたまに登場するが、使っているのは決まって女性と坊さん。日本刀や槍は男の戦闘員の武具である。
私の勝手な想像では、薙刀は攻撃というより自衛のためのたたかいに用いるという雰囲気があったのではないだろうか。本来は平和を愛し庇護される立場であるはずの女性や坊さん。そんな彼らでさえ戦場に駆り出されてしまう無常感と悲哀。それでも命をかけて戦わねばならぬという決意。そういう複雑さが、薙刀にあるような気がしてしまう。
ここで私が合わせて言及したいのが運慶作の八大童子である。
本来ならば仏の教えを学び、平和で安全・安心なくらしをおくるはずの童子たちだが、末法の世ではそれも許されぬ。そんな悲しみと、子どもが戦いに出ることへの素直なとまどいと恐れ、そして、それでも命を懸けて戦わねばならぬという決意。こういう複雑な感情が入り混じっているのである。特に恵光童子と清浄比丘の顔をご覧いただきたい。三鈷杵という武器を右手に持って、複雑な顔をしている。本来なら左手に持つ花を愛でたり本を読んだりしてくらしたいのに、なんで戦争が起こってしまったのか。そんな背後のストーリーも浮かんでくるのである。根っからの職業軍人であり戦うことに何の疑問も持たない四天王とは違うのである。