なぜひふみんは、引退が決まった夜の会見を拒否したか
いつでも礼儀正しく愛想のよいひふみん。しかし、引退が決まった夜、彼には笑顔も愛想もなかった。マスコミを無視し、投了前に呼んでおいたタクシーに乗ってその場を後にした。この行動の理由についていろいろ語られているが、ここでは僕の見解を書いておきたい。
これはたとえ話である。ある有名人が難病にかかり、もうすぐなくなりそう、どうやら今夜がヤマだ、というのをマスコミがかぎつけたとする。そのとき、マスコミが病院の前でスタンバっていたらどんな気分だろう。その記者にとっては、もしその有名人が死んだら大ニュースであり、他社にさきがけて報道できるスクープになるだろう。しかし、その有名人がその晩死ななかったら、その記者にとってはなんのニュースでもない。その有名人の死が、その記者にとっては成功である。その晩に死ぬ可能性が結構あるからという理由で取材に来る記者。これは失礼な話である。
ひふみんの場合もそうだ。対局に負けたら引退で、大きなニュースになる。対局に勝ったら現役続行だから、ニュースにはならない(小さなニュースにはなるかもしれないけど)。つまり、対局に負けるというネガティブな現象を前提として、マスコミは集まってくるのである。これはたいへん失礼な話である。
マスコミや、彼らの顧客である一般市民に望むことは、ある有名人が今夜死ぬ可能性があると感づいていても、あるいはひふみんが今夜引退する可能性があることに感づいていても、あくまでも「生きるだろう」「勝つだろう」という気持ちで見守ってほしいということ。ネガティブなことが起こることを予期していたとしても、それは心のなかにとどめておき、表立った行動を起こすのは、公式発表のあとにしてほしい。
結婚式のお祝いはピン札がよい。しかし、お葬式の香典はピン札ではいけない。これは、前もってその人が死ぬことを予期していたかのように準備がよすぎると遺族を傷つけるという意味である。こういう奥ゆかしさを望むのである。