ぼくのほそ道

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コンピュータ将棋と羽生さんの誤算

羽生さんはこんなことを言っていた。

 

ではなぜ羽生は強くなる一方のコンピュータに対して何も恐れないのか。 それはあるインタヴューでの答えの中にある。将棋がコンピュータによって完全解明されてしまったら、どうするんですか。 という質問に、羽生はケラケラ笑いながらこう答えた。 
「そのときは桂馬が横に飛ぶとかルールを少しだけ変えればいいんです」

 

週刊ポスト2014年5月2日号
http://www.news-postseven.com/archives/20140424_252628.html

 

しかし現実には、桂馬が横に飛べるようになると、これまで人間が何百年もかけて築き上げてきた定跡とか大局観とか勝負勘とかが使えなくなることを意味する。つまり、将棋は別の新しいゲームとなる。ということは、人間とコンピュータは、「よーいどん」で同時に新しいゲームのたたかい方を競いはじめることになる。そうなると、コンピュータが圧倒的に有利なのだ。人間のアドバンテージはこれまでの歴史という財産であり、それがなくなると、これまで以上にコンピュータにかなわなくなる。

 

また羽生さんは、こんなことも言っていた。

 

もし、私が将棋の神様と対局したら、香落ちでは木っ端みじんにやられてしまう。角落ちでやっと勝たせてもらえるだろう。

 

『決断力』(角川書店、2005年)より

 

これも現実的には、楽観的過ぎると言わざるをえない。「将棋の神様」とは、将棋が完全解明されたときの、ベストな指し手のことを指すと考えてよいだろう。角落ちならば、たとえ相手が常に最善手を指し続けたとしても、その角落ちのアドバンテージを保ったまま勝てるだろう、という意味である。ずーーっと「人間の将棋界」で第一人者だった羽生さんがこの発言をするのは無理もない。なんせ、自分より強い相手に会ったことがないんだから(なんとか互角程度の相手はいたとしても)。

 

ところが、近年のコンピュータ将棋ソフトの棋力の向上はすさまじい。去年の自分に7-8割勝つようなペースの向上を毎年遂げているのである。棋力を客観的・機械的に表現する方法として、レーティングがある。優秀なコンピュータ将棋ソフトは、レーティングにおいてすでにトッププロ棋士に角落ち程度の差をつけているのである。

 

ならば、現在のコンピュータ将棋ソフトは、「ほとんど神」の領域に近づいているのだろうか。答えは否。将棋の完全解明に近づいているならば、棋力向上のペースはごくゆるやかになる。「去年の自分に7-8割勝つ」ようなペースでの棋力向上は起こり得ないのだ。

 

よって、「将棋の神様」は、現在のコンピュータ将棋ソフトよりさらに高いところに存在していると考えられる。そうならば、人間のトップは、これまで考えていたよりもずっと「弱い」、つまり将棋の完全解明からは程遠いということになる。

 

これは羽生さんにとっては誤算かもしれないけど、将棋を愛する者にとっては朗報とも言える。これまでは、将棋というゲームは、「羽生さんなら角落ちで勝てる程度の奥深さ」だったのが、「羽生さんが二枚落ちで挑んでも勝てないほど奥が深い」ということが判明したからである。