ぼくのほそ道

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人間の将棋に「好手」は存在しない

将棋の戦況を数値化する「評価値」。これは、その局面からお互いに最善手をさし続けたときの勝利の確率を表現しているものだ。しかし、人間は常に最善手をさし続けることはできない。コンピュータという「神」の視点から見たとき、もはや人間は「好手」をさすことはできない。つねに最善手が当たり前なのだから。好手というのは、対戦相手または傍観者が気づいていないというのが前提であって、コンピュータがそれに気づかないというのはなかなかありそうもないのである。

と考えると、人間同士の将棋は、「悪手をさしたら負け、間違ったら負け」というゲームである。ならば、相手が間違えそうな方向に導いていく、という戦略は、対人戦では有効であろう。棋理すなわち最善手を追究する将棋はコンピュータに任せ、人間同士は相手の間違いを誘うゲームをしたほうが、勝率が高くなると思われる。

このようなわけで、コンピュータから見た勝利確率すなわち評価値がおなじでも、人間同士の勝利確率はかい離することはおおい。だから対人戦の戦況を評価するには、従来の評価値に加えて、「間違えやすさ」を表す指標をつくるのがよいのではないだろうか。以上わたくしの持論である。