もっと人間に絶望しよう
「人間に対する絶望感が足りてないんじゃないか」と、学生たちや同僚たちを見ると思う。
「人間は基本、僕のことを分かってくれない」
「人間は基本、僕の都合を考えてくれない」
「人間(特に先生や上司)は基本、非効率なこと(ときに無駄なこと)を要求してくる」
しかしそれでもなお、僕らは自分ひとりでは生きられない。とかくこの世は住みにくい。人の世がいやなら、人でなしの世にでも行くしかないのだろうが、そうなるともっと住みにくかろう。夏目漱石もこういうふうに言っている。
そんなわけで、僕らは人間に絶望したとき、過剰な期待に起因する失望から解放される。ときたま奇跡的に、僕らにやさしくしてくれる人間に出会うときがある。あるいは、いつもはイヤな人間が、ときにやさしくなるときがある。そのとき、その「有難さ」というのが実感できる。「ありがたい」という日本語は、基本あり得ないことだという絶望がベースにあり、それが奇跡的に生じたことに対する感嘆と感謝なのである。
もちろん、いつも僕にやさしくしてくれたり、僕を理解してくれたりする人も、少しだけいる。だから僕は、その人の存在自体が奇跡であり、大事にしたいと思う。僕は基本的に人間に対する絶望感につつまれているから、その感覚がまひすることはない。いつでもこころの底からありがとう、って言うし、それはこれからも変わらないんじゃないかと思う。取り立てて人間的にとりえのない僕だけど、その卑屈さの裏返しで、こういう気持ちを持ててることはちょっとうれしい。