ゲージツの偏屈にもの申す
よく、ゲージツにしか興味ないからテレビは見ないの、なんて言う人がいる。しかしテレビって、よく考えたら総合芸術なんじゃないだろうか。すべてが映像作品である。ビジュアルアートとしての側面もあるし、音楽番組やドラマはパフォーミングアートである。
現代のふつうの日本人がどれくらい芸術が好きか。好きなテレビ番組にあわせて家に帰るようにするし、それができないと録画する。それに飽きたらずDVDを借りたりする。自分の自由になる時間の半分以上を、テレビという芸術に費やしている人も多いだろう。
マンガだって芸術だ。文学作品とビジュアルアートを融合させたもので、基本的にひとりの作家が両方やってるというのがとにかくすごい。
僕らふつうの日本人が芸術に費やすお金と時間をバカにしてはいけない。最近の人たちはゲージツにお金を落とさないからこんな国はダメだ、こんなんじゃゲージツが育たない、なんてえらそうに文句をたれる芸術家くずれはおおいけど、そのほんとうの理由は、そいつらが提供してるものがしょぼいからだと思う。ほんとにすてきなものをつくったら、それを正当に評価する程度には、日本人の目は肥えている。
特に現代アートの諸君。現代から目を背けた状態で都合のよい反抗とかしてるのはかっこわるいと思う。自分らのゲージツは高尚だから認められない、大衆が好むテレビはゲスだ、なんてのはかっこわるいと思うよ。
ときに僕は、洋楽にはまってたころは日本の音楽を一切聴かなかった。ほんとに日本の音楽がまったく耳に入ってこずに、その数年間の流行の歌の記憶が一切抜け落ちている。これはわざとやったわけではなく、自然とそういう精神状態になっていた。人生の数年間がそうだったことに後悔はないし、その時代がのちの僕をつくりだしたとも言える。ただしその時代を乗り越えることができたから、ひとりよがり状態を脱出できたんだと思っている。