「宗教 vs. 科学」、または「宗教 vs. 宗教学」
僕は宗教学に興味を持っている。ということはとうぜん、その研究対象である宗教に興味を持っている。しかし、僕は学問としての宗教学のやり方を信じているが、宗教そのもののやり方は受け入れていない。つまり信じていないのである。
「科学を信じてる」が「宗教は信じてない」というと、「科学だって宗教のひとつみたいなもんでしょ」という反論を受けるのは定番である。しかし、科学と宗教が根本的に異なることがある。それが反証可能性の有無である。
すごく簡潔にいうと、宗教は、反証可能性が小さいほど良い宗教である。いっぽう科学は、反証可能性が大きいほど良い科学である。現代のキリスト教やイスラム教の教義は高度に洗練されているため、議論において彼らの神の存在を否定することは不可能である。これから何百年宗教論争したって、キリスト教とイスラム教のどっちが正しいかなんて結論はでないだろう。
しかし科学は、反証可能性が高いほど良いのである。自分の学説を導くにいたった過程のすべてをさらけだし、それをライバルたちに攻撃しまくってもらうのがサイエンスである。攻撃されることで根本的に誤った学説は排除されるし、部分的に不備のある学説は修正されていく。こういうシビアな世界を生き残った学説が法則となる。このプロセスは根源的にフェアなのである。そして、今のところ絶対の法則と信じられてることも、明日くつがえされるかもしれない。それが反証可能性であり、自分は科学者として、信じる学説がひっくり返ったときは甘んじてそれを受け入れる覚悟を常にしておくべきである。科学者は、常に死装束を身に着けて巡礼する四国遍路のようなものなのである。