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ぼくのほそ道

サイエンスとかアートとか自然とか仏像とか生物とか・・・。僕の知り合いの人は読むの非推奨!

学界の性善説および学者の手のひら返しについて

投稿論文の審査には性善説が不可欠である。もし性悪説で審査をするならば、捏造してないか、再現性があるかをいちいち調べなければならんが、それでは投稿料が跳ね上がるしタイムリーに出版できないから。査読者がボランティアで再現実験せにゃならんなんてことになったらサイエンス崩壊するでしょ。ネイチャーが再現実験するとしても同様。だから査読者もエディターも、出してきたデータ自体に悪意はないと仮定して評価する。捏造はしてないという前提でやらなくっちゃいけないのだ。その代わり、捏造した人にはサイエンスの世界から一発退場という厳罰を課すことでこの仕組みは保たれている。


一方、データ自体に悪意がないならば、解釈が間違ってたとしても厳罰はない。生命の起源は38億年前だ、いや35億年前だ、ってたたかってる学者がいるけど、どっちかが間違いだ。あるいは両方間違いだ。でも、間違ったほうはサイエンスから追放なんてことには決してならない。またチャレンジすることは大歓迎。サイエンスはそういう世界だ。しかしもし、相手をやり込めるために証拠を捏造したのなら、一発退場だ。


1月末の発表の際、僕は興奮した。小保方さんえらい、彼女を抜擢した理研はえらいって思ったんだ。それは性善説に基づいているから。しかし、捏造とコピペの証拠がほんの少し出ただけで、僕は手のひらを返して厳しい批判をはじめた。


正しいとみなすべき証拠が有力なときは信じ、誤りとみなすべき新たな証拠が出たら批判する。これは手のひら返しではなく、科学者が持つべき正しい姿勢なのだ。捏造の証拠が出たのに自説に固執して信じ続けるのは間違いだ。新たな証拠によって自分の信念を常にアップデートし続けるべきなのだ。


だから僕は、手のひらを返せた自分は当たり前のことをしたと思ってる。新たな証拠に接することで自説をひるがえすさわやかさを、ドーキンスは「サイエンスやってて最も美しい瞬間」みたいに言ってたわけで。