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韻なんてふまない。
言葉にリズムがあるだけだ。
書く衝動に駆られる。分かってることも分からないことも、信じてることも信じられないことも、感動したこともつまらぬことも、伝えたいことも知られたくない罪の懺悔も。それはあたかも、絵描きがキャンバスにナイフで絵の具をはげしくなすりつけるような生々しい行為だと思う。ただ僕にはアナログ的な微細な表現ができないだけだ。だから活字を道具とする。文字はデジタル情報だ。古代エジプトの神聖文字の時代からそうだ。文字の情報は、うまくコピーすれば永遠に伝えられる。万葉集の歌を書き記したオリジナルの竹簡は失われてしまったが、そこに書かれた情報はコピーされ、現代まで伝わっているように。
書くことは恥ずかしい。いろんなことを知って大人になると、書くことはとても恥ずかしくなる。ただ、書けないあきらめの苦しみはがまんできないから、ひたすら書くだけだ。人に読まれると恥ずかしいし、読まれないとつまらない。