ぼくのほそ道

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「パワープレー」の理論統計学的考察(学部生の試験に出すレベル)

以前の職場の同僚との雑談。サッカーについて話してて、僕は耳をうたがった。その彼の発言を要約すると、「サッカーの試合の終盤で負けかけてるときになってはじめてパワープレーをするのはおかしい、試合の最初からパワープレーで攻めたらいいのに」となる。彼は博士を持ってる理系研究者のはずなのにこういうことを本気で言ってるので、僕は深く失望したのである。

それでは、この記事では攻守のバランスのとれた戦術を「ふつうのプレー」と定義し、キーパーを上げるような捨て身のスタイルを「パワープレー」と定義しよう。

なぜサッカーの試合時間の大半は「ふつうのプレー」に終始しているのだろうか。それは、「ネットでの得失点」を最適化するためである。ここでいう「ネットでの得失点」とは、「(自チームが一定時間内に入れる得点)ー(敵チームが一定時間内に入れる得点)」と定義する。攻守のバランスが取れていると、得点と失点の差し引きが最適化される。いっぽう、パワープレーをすると、「自チームが一定時間内に入れる得点」が増えても、「敵チームが一定時間内に入れる得点」はそれ以上に増えるので、「ネットでの得失点」はわるくなるのである。

というわけで基本的に「ふつうのプレー」が「パワープレー」に勝ることは分かるのであるが、それではなぜ、たとえ例外的にしろ、「パワープレー」が合理的な選択になる状況が生じるのだろう。「ネットでの得失点」の期待値はパワープレーしたほうがわるくなるのなら、パワープレーをする意味はないような気がするけれど?

その答えは、「パワープレーは期待値を下げるとしても、分散を上げるから」となる。得失点の分散が上がるとは、自チームにしろ敵チームにしろ、点が入りやすくなるということ。比較すると敵チームのほうが点を入れやすいんだけど、たまに自チームが点を入れることもある。このラッキーに賭けるというのがパワープレーであり、どうせ負けるなら1-2でも1-3でもおなじ、ラッキーなときは2-2になる、というのが合理的な場合に選択されるのである。

 

「あえて期待値を下げてでも高い分散に賭ける」という選択は、サッカー以外にもいくらでも見受けられる。たとえばアメフトで試合終了2秒前に投げるhail maryパスもこれ。

おもしろいところでは、宝くじを買うというのもこれ。仮に宝くじの還元率を50%としよう。大金持ちが100億円出して、ある宝くじを一枚残らず買い占めたらどうなるか。その人はぴったり50億円を手にするだろう。期待値は50億円で、分散はゼロである。こういう買い物をするのは非合理である。

しかし、「一枚100円の宝くじ。ほとんどすべてが空くじだけど当選したら10億円」みたいな宝くじがあったらどうする?一枚当たりの期待値は50円だけど、その分散は非常に大きい。だから、「あえて期待値は投資額の50%だけど高い分散に賭ける」という選択を取る人もいるのだ。ちなみに、この宝くじを2枚買ったら?「期待値は投資額の50%」というところは変わらないのに、1枚買う場合よりも分散は下がる。つまり、おなじ宝くじをたくさん買えば買うほど、分散は下がっていき、「すべて買い占めて分散がゼロになる」状況に近づいていく。だから、もしあなたが宝くじを買おうとするなら、1枚だけ買うことをお勧めするのである。