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ぼくのほそ道

サイエンスとかアートとか自然とか仏像とか生物とか・・・。僕の知り合いの人は読むの非推奨!

学者の発言の信頼性や精密性って、大きく分けると以下の三つになると思う。

1. 査読論文
自分の研究成果を、先行研究と比較しつつ再現可能性と反証可能性に配慮しつつできる限り客観的・定量的に記述したもの。自分にできる限りの精密性を発揮し、それはしばしば分かりやすさを犠牲にしても優先される。学会発表もこれに類するものとも言えるが、状況や聴衆に応じて、ある程度精密性を犠牲にして分かりやすさを高める人もいる。

2. 大学での講義や一般向けの学術的な記事の執筆
受け手に合わせて分かりやすさを重視する必要がある。そのためには議論をはしょったり、根拠とする調査や実験の再現可能性が下がることもある。ただし、その結論とするところは、最新の学術研究のコンセンサスを反映させたものであるべきだ。逆に、自分の私見をあてずっぽうに述べて、さもそれが学術研究のコンセンサスであるような誤解を招かないよう注意すべきだ。「正しいことを分かりやすく」「手法や先行研究のdescriptionは適宜はしょっても、結論は正確に」というセンスが求められる。

3. 研究を離れた私生活での発言
学者といっても24時間研究してるわけではない。研究を離れた時間にはふつうの私生活があり、そういうときはふつうのおっさん(※)なのだ。だから言ってることの精密性も、ふつうのおっさんレベルである。そして、ふつうのおっさんにもマジメとホラ吹きがいるように、私生活での学者にもマジメとフシギ発言大好きっ子がいる。僕はどっちかというと後者のほうだが、それを自覚しているから1や2ではマジメである。というかすべての学者は、3の態度にかかわらず1と2ではマジメであるべきだ。しかし3では、学会の夜の飲み会が示すとおり、無責任・根拠なしの私的な考えの発表対決でいかにウケるか・飲み会の話題を支配できるかを競い合ったりするのである。学者はヘタに頭がよく自己顕示欲も強いため、こういう状態になると一般人よりも悪ノリする傾向が強い気がする

※ またはおにいさん・おじいさん・おばさん・おねえさん・おばあさん

※ もちろんこれら三つにはgradientがあり、スペクトラム上に並ぶものである。たとえば、講義が終わった後の学生との雑談は、だんだん2から3に移行していくこともある。その途中は「2.3」みたいな状態になったりすることもある。

と前置きが長くなったが、学者が書く本として、僕が本を書くときは専門分野の入門書としての性格を重視し、読者が最新のコンセンサスを無理なく正確に理解するために執筆の工夫をしている。逆に、自分の私的な主張やあてずっぽうを極力排除している(無意識のうちに紛れ込んでるものをすべて排除できているというつもりはないが)。

問題視しているのは、日本の学者で、3の内容のエッセイを、さも2であるかのように示す著者がいて、そういう本が売れてしまうこと。そういう本って、8割が正しい内容で、2割がウソというか毒だったりする。一般人をだますにはちょうどよい配合だと思われる。僕はこういう本を書きたくないし、むしろそれを売りにしたい。自分が書きたいことや、読者が読みたいことが科学の真実とは限らない。むしろ人気の出ない真実を率直に書くのが僕の使命だと思う。