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ぼくのほそ道

サイエンスとかアートとか自然とか仏像とか生物とか・・・。僕の知り合いの人は読むの非推奨!

(僕以外読まないで!)

よく、「ほんとの天才はいばったり自慢したりしないし飄々としてるし人のことをけなさないし・・・」みたいなことを言う人がいるけど、それはちがうと思う。(いちおう)匿名のこのブログだから言えるけど僕は自分のことを天才だと思ってるから、その自分の勝手な仮定にしたがえば、自分はその世間一般の定義と決して相いれないことが分かるのだ。

しかし僕の初対面の印象は、大学教員としたらずっと、というか平均的日本人男子と比べてもずっと、まったりゆったりしてて、天然とか言われる。やわらかいとかふわふわだとか言われる。この点で僕は、世間一般の天才像とマッチした存在だろう(ちなみに僕のことをちゃんと知ろうとしない世間の大多数の人は僕を天才だと認識する機会がないので、ただの天然クンだと思うだけである)。

ところが内面の僕は、冷徹に自分と他人と社会を見つめぎりぎりの選択と綱渡りを繰り返し常に焦燥の炎に炙られ効率を極限まで追究している。社会を批判的に考察し自分がすべりこめるすきまはどこかに開いてないかと目を血走らせている。自分ひとりのときはすごく早く歩く。

自分の能力を過不足なく客観的に評価する鍛錬を積んでいるのが僕の特徴であり、学生時代は「テストで95点取ろう」と目標を決めたら95点取るための努力量を精密に見極めた。努力と成果の相関関係は一般的にサチュレーションカーブを描くから、総合的な最適化のためには特定の科目で100点を目指すのがベストとは限らないからだ。そして適切な勉強のあとテストを受け「今回は97点くらいだな、びびって勉強しすぎたな」との感想を抱くと、後日返ってきたテストは果たして97点なのである。

僕のスタートは人より約10年遅れている。もうすぐ自伝を書こうと思うくらい数奇な家庭事情のためだ。自分ですべての学費と生活費を貯め、足りない分は途中で稼いだりして大学を卒業した。スタートはアメリカの短大であり、その後は三流州立大学であり、そして最終学歴で超一流大にたどり着いた。ただの天然クンである天才では絶対にたどれないような道である。泥臭くシビアな金勘定とか大学のブランド名の損得勘定とか、およそ世間の天才イメージに似つかわしくないイヤらしい損得で大脳をパンパンにしてきた結果である。そしてその歪んだ感情がいまこの文章にほとばしっている。

そしていまようやく、10年の遅れをなんとか取り戻し、僕と同い年の「ふつうの天才クン」が順調に出世してぎりぎりたどり着けるようなところに、僕もたどり着こうとしている。しかし僕は、彼らより10年遅くスタートしその他のハンディキャップも抱えているのである。つーことで僕は、自分の才能も努力もふつうの天才クンのはるか上をいくと自負しているのである。