ぼくのほそ道

サイエンスとかアートとか自然とか仏像とか生物とか・・・。僕の知り合いの人は読むの非推奨!

スプツニ子!の本を読んだ。「はみだす力」。破天荒な自伝で、まさしく彼女が飛び立った瞬間であるいまこれを書いたことにすごい意味があるんだと思う。たぶん50代になってからむかしを思い出して書いてたんではこうはならないだろう。

むちゃくちゃをやるけれども勉強も真剣で、社会のシステムのなかでスルスルとのし上がっていくしたたかさととがった思想。痛いことをいうとわたくしによく似ている。プログラミングが超得意ってとこも。

たぶん僕らが、世界最先端のヤイバの上で、のたうちまわりながら生きていた2000年代という近過去。ボストンとロンドンというよく似た環境で実はおなじようなたたかいを生きた共感というものも多大にある。常識を破るには、常識を知らなくてはならない。だから、その常識のレベルが高ければ高いほど、僕らは高く飛び立てるんだ。...

スプ子氏はアートに路線変更してのしあがる。わたくしはサイエンスの枠組みのなかでのしあがる。わたくしもいつか路線変更するときがくるのだろうか。それともすでに、路線変更しかかっているのだろうか。

(「理系から○○へ」「学者から××へ」というような肩書きで活動してる人はいろいろいるけど、そういう人たちはいわば、本業である理系の勉強や研究では二流以下であることが多く、それならば、ハーバードで博士→Nature(いちおう、だけど)→○大准教授、という表面上はきわめて順調な履歴書コンテンツを現在進行形で収集しているわたくしに出る幕もあるんじゃないかと思う。あくまでも才能があれば、って話だけど。)

スプ子氏がえらいのは、自分の学んできたことをしっかり頭の引き出しに整理し、的確なことばとして取り出せるようにしてること。アートの本のはずなのに、「巨人の肩の上に立つ」というきわめて重要なサイエンスのコンセプトを書いてたことにびびった。奇しくも同時期に執筆してた僕の本でこういうことを書かなくちゃいけなかったのにどうしても頭に浮かばなかったコンセプト。知ってることなのに僕の引き出しからは出てこなかったんだ。せめてあと5日、この本を早く読んでいたら入稿に間に合ったのに。すでに原稿は印刷所の輪転機でぐるぐる回されているのであるまさにこのとき。