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ぼくのほそ道

サイエンスとかアートとか自然とか仏像とか生物とか・・・。僕の知り合いの人は読むの非推奨!

自分宣言2

自分宣言2:人生とわたくし、自然とわたくし、科学と芸術とわたくし
(自分宣言1は現在のところ非公開である)
 
自分を取り巻く自然のこと・街のこと・人のことを、つねに観察し、思考し、模索し、なにかやりたい。ほめられたい。役に立ちたい。役に立つことで自分が生きてきた爪あとを世の中に残したい。そういう意気込みをもってないと僕は生きていけない気がする。そうすると必然的に自分はどんどん変わっていく。そしてそういう自分の抱え込んだプロセスのあれこれを人に伝えないといけない気がする。だれかから頼まれたわけではないのに、勝手に抱く使命感なのだ。
 
僕は幸せになりたいし、そして人々を幸せにしたいと思う。でも、ぽわんとした夢や空想のカプセルにひきこもって非現実の世界に安住したいとは思わないし、人々にそういう安易な逸楽を提供したいとは思わない。むしろ、僕たちの直面する厳しい現実を背景に、その先に僕らが見るべき希望を伝えたいと思う。
 
こういう意味で、僕は楽観的悲観主義者だ。私たちはクリアな視界を保ち、これまでとおなじくらしをこれからも続けていくことはできないと、知らなくちゃいけない。そしてその深い絶望と同じくらいの強さと喜びをもって、変わっていこう。社会や自然の問題を考えるとき、僕の心の奥にはこういう情熱がうず巻いている。
 
生きてるうちに時間をどう使うかはすごく大事なことで、状況に流されて目的を見失ってるヒマはないと思う。僕は研究者だから、自分にできることでたたかう。ヤノベケンジだってそう思ってるだろう。彼は学者じゃないけど、自分にできることを必死に模索している。彼の政治的メッセージに共感するかどうかは別として、そのたたかう姿勢は、「芸術は社会とかかわっていかなければならない」というのは、僕にとっては「芸術」を「科学」に置き換えて、ヤノベさんとおなじ熱さを持って発散していくべきものなのである。
 
よくユルいと言われる。ぼーっとしてるように見られる。空気みたいなやつだと言われる。さしていい意味ではなくあなたといたらなごむ・落ち着くと言われる。飲み屋で注文の声を上げても店員にスルーされる。そんな僕だけど内面は人一倍熱いように思う。この点で奈良美智とおなじ傾向を持っているのかもしれない。ほんとに大事なことを大声で伝えたいんだけど僕には苦手で、それでもやっぱり聞いてほしい。だから本を書いたり、それでも飽き足らず言葉を書きなぐったりするのだろう。ちなみに自他ともに認めるけどプレゼンは得意である。授業も得意である。ただ個性に圧倒的な求心力というかカリスマ性が欠如しているのである。それでもそれでたたかうしかない。
 
自然と人間の関係を理解すること。自分の専門分野からの視点では、それなりに分かってきた気がする。つながりを考えるシステム科学を学ん来た者として、この思考を広げていくことはできないだろうか。たとえば夏目漱石が自然と人間と視覚芸術を草枕という文学で結びつけようとしたことを、僕は科学のコンテクストで実現できないのだろうか。芸術はサイエンスにないものを持っていて、人のこころを理屈ぬきで動かす。僕の道具はサイエンスだけど、なにかきっかけを与えて、人びとが自然のこと、自分のこと、人間のことを考えるようになってほしい。人の心が動くメカニズムは認知科学で、それ自体にはさして興味がない。脳内のホルモンバランスがどうあれともかくこころが動いたんだから、それを現象論としてとらえて何らかの説明を加えることはできないだろうか。そう、つまりはデータ同化なのである・・・。